時代や世代を超える数々のヒット曲を夜に送ってきた
稀代のヒットメーカー平尾昌晃さんが肺炎で亡くなりました。
私が小学生のころから大ヒットしていた曲が多く大好きな作曲家でした。
その当時の曲を聞くと、あの頃は大人になったらきっと楽しいことばかりなんだろうな~
と。夢を抱いていた当時の自分を懐かしく感じます。
そう言えば、平尾昌晃さんって若い頃に肺を患って以来、
肺疾患が慢性化していたようですね。
今でこそ、日本を代表する作曲家として活動していましたが、
昔は「星は何でも知っている」、「ミヨチャン」などの
ヒット曲を飛ばしていた人気ソロ歌手でもありました。
ミッキー・カーチスや山下敬二郎とともに
“ロカビリー三人男”と呼ばれていたそうです。
ところが、絶頂期に肺結核を発症してしまい
長期療養が必要なことから歌手を断念したようです。
医師に「3年間は歌ってはいけません」と言われ、
たぶん、相当ショックだったでしょうね。
最近では、2014年に原発性肺高血圧症、
2015年に肺がんと何度か肺疾患を患っていました。
そして、今年の5月頃に体調を崩して一時入院し、
一度は回復して退院しましたが、7月に症状が悪化して再入院。
その後、容体が急変して亡くなったと言われています。
このように、平尾昌晃さんは、慢性化した肺疾患に悩まされていましたが、
肺結核を患ったのをきっかけに作曲家の道に進むことになり、
数多くのヒット曲を生み出すことになるのです。
五木ひろし「よこはまたそがれ」、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」、
アグネス・チャン「草原の輝き」、畑中葉子とデュエットした
「カナダからの手紙」など、彼が手掛けてきた曲は、
たくさんありすぎてここでは紹介しきれません。
あっ!そうそう!時代劇の必殺仕事人の音楽も、
確か平尾昌晃さんが作曲したんですよね。
最近では、作曲家としてだけでなくモノマネ番組の審査員など、
バラエティー番組などでもちょくちょく見かけましたが、
もうあの優しいにこやかな笑顔は見れないんですね。
平尾昌晃さんが、肺炎で亡くなったのは残念ですが、
彼が手掛けた曲は、今の若い世代でも知っている曲がたくさんあり、
きっと後世に歌い継がれていくことになるでしょう。